2006-06-27
■だいぶ前になるが「社内ネットワーク監視システム」というプログラム作りをした。当初からこんなシステムには大反対した。「パノプティコン(全展望監視システム)」と呼ばれる概念の復権をみる思いがした。もともと「パノプティコン」とは、刑務所その他施設で、一ヵ所から全体を見渡せ、監視できる施設のことを指す。
■パノプティコンの最も重要な働きは、受刑者を教育・改造するためのシステムといった合理主義的な目的にあるのではない。監視されるものは実際に見られているのかどうかがわからないという「隠蔽されることによって普遍化される視線」の生成にある。それが権力による支配の視線、スパイ衛星の視線そのもので、「他者の視線」の中で、監視されるものたちに平和を安心を約束しようとする。
■なぜ内部を監視するのだろうか。内部にこそ敵がいることを知っているということだろうか。いや違う。監視可能な領域を「自分の内部」として成立させるためだ。その範囲だけは、少なくとも異分子を排除できる、法を行き渡らせる、自分の権力の支配下にあることを確証できる、清潔に保つことができるのだ。

■本当の敵は、監視すべき内部にあるのではないと主張して、このプログラムに反対した。結局は作ることになった。ところが世界中で多発するテロでわかったことは、敵は内部にこそあるということだった。それはまさに監視下に生まれるということだった。いまも監視システムには反対する。ただし反対する理由を変えたい。まさに「監視」、権力の視線そのものが、自分の中に敵を作り出すからだ、と。

■さてテロと聞いて思い出したいのは、アメリカの貿易センタービルへの自爆テロだが、その報復で侵攻したアフガニスタンには当時、反タリバン勢力の「北部同盟」というものがあった。彼らはアメリカ軍進軍の前線に立たされ、結局「利用されて」いるだけだといわれた。ところが銃弾の盾となって、矢面に立たされるのは自らがすすんで利用されることを選んだからにほかならない。悲劇は「強制されたこと」にあるのではなく、それを自分で選ぶ以外になかったという点にある。餌がおりてくる。その背後に釣り針があることを知らなくて食いついた悲劇ではなく、背後に釣り針があると知っていても食いつかなければならないときがある、そういう悲劇だった。

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