■ある人から来た仕事のメールの最後の一行にあった「外は雨が降っていますね」、その一文を読んで、M嬢はその人を「変な人だ」と言った。「そんな時間に雨が降っていることなんか、私にわかるわけない」と。でも彼は同意を求めたんじゃない。朝の四時、やっと仕事を終えて、初めて顔を上げて外を見た。雨に気づく。そこには「やっと仕事が終わった」という疲労感、充実感、解放感があって、それでついつい雨について書いてしまった。そういうことだった。
■そっくりな話がガルシア=マルケスという作家の『百年の孤独』という小説にある。
アウレリャーノは、ある友人と仕事でずっと電報をやりとりしていた。内容はいつも用件だけの無味乾燥としたものだった。じつは彼らは幼馴染で、若いころは夢や悩みをともに語り合った仲だった。いつこうなってしまったんだろう。友人はこの田舎町を捨てて出て行ってしまった。突然アウレリャーノは、電報を打つ。「今、ここでは雨が降っています。アウレリャーノ」
すこしして返信が来る。「何を馬鹿なことを言っているんだ。そこで雨が降っていることなんかおれにはわからないし、関係もない。用件のない電報など打つな」それは激怒した内容だった。
二人だけの思い出だと信じていたことは、じつは自分ひとりだけの思い出に過ぎなかった。
■児童文学に、素敵な切手のストックブックを宝にしている小学生の話がある。 彼は友達にせがまれても、そのストックブックをちらりとしか見せない。みんなに自慢して見せるのではなく、自分だけの大切なものとして、だれにも見せず、いつもそのアルバムを胸に抱えていた。 あるとき、雪合戦をしていて、彼の投げた雪つぶてが、たまたま道を通りがかった老人の目に当たってしまう。老人の片目は失明する。少年は、おじいさんのところに行き、何よりも大切なその切手のアルバムをおじいさんに差し出す……
■自分ひとりだけの大切なものによって孤独なのに、それが人と結ばれる可能性を持っている、それだけが贈り物になる。自分だけの大切なものは独占のためじゃなく、贈与のための何かだった。人は自分の孤独の深さで他者と出会うしかない。
マコンド村で、伝染性の不眠症がはやり、誰も眠れなくなって、やることを失い、過去の記憶も失っていく話が『百年の孤独』にあって、過去がなくなったので、「過去を占う」みたいなことがはやりだします。
「なあんだ、お前昔、水夫だったのか」
いま、未来はぜんぜんないですけど、過去は夢のようです。読書も「過去占い」みたいなものかもしれません。
花粉か、公害かストレスかで眼が開かなくなってしまったので、更新の速度を落とし、内容も薄くします。(各所からそういう要望が出ていたのです)
Closeなんて適当な名前ももうやめて、昔の「M」に戻します。(そういう要望も出ていました)
いつでも要望に負けるMでした。
ところで今ぼくのところも「外は雨が降っています」。ベランダの観葉樹(昨年の冬、ぼくの出張中に妻が枯らせてしまったものですが、ようやく生き返って葉が出てきたところです)を1階の雨のなかに出してやりました。明日の朝、観葉樹は喜んでもっと葉を拡げているでしょう。
逆に、うまくいっているときは、それを証明するものはどこにもありません。自然らしさと曖昧さとイデオロギー、盲目などとともに、船に乗っているだけです。
船の行き先は破局ですが、波はあくまで穏やかです。
「自分ひとりだけの大切なものによって孤独なのに、それが人と結ばれる可能性を持っている、それだけが贈り物になる。」
なにか、心の中に落ちた気がしました。最後の言葉も。
雨が降っていますね、と、そんなメールをもらったら
私ならきっとうれしくなると思いました。
その人の時間まで伝わってくるなと。
どっちかというと「よい感想」は苦手なのですが。
「人は自分の孤独の深さで他者と出会うしかない」というのは、意味だけ同じにして、ベタな表現にすれば「さみしさの大きさが人を求める強さだ」といった平凡なものじゃないか、と書いた後で思っていました。表現力は意味とは別のもの、やはり美学なのか、と考えたりしていました。
こうして作者は、自分が何を書いたか、書いているかということを「知らない」のです。読者になって発見するものによって変わります。
いい読者(聞き手)がいい作者(語り手)を作っていくのでしょう。
こちらが、あんまり美しいブログであることにため息をついております。
児童文学のお話ですが、少年のコレクションが切手であることが暗示に富んでいるようにも感じられますね。手紙に貼り、誰かのもとへと届けるためのツール。誰かとつながるためのツール。その切手を通じてつながる、一人と一人の人間のお話とも。
>人は自分の孤独の深さで他者と出会うしかない。
自覚していると否とに関わらず、孤独という共有できない部分を、共有できないということによって結ばれる、人と人との関係。生きるとはなんとも不思議で可笑しなものだと、今さらながら感を新たにしております。
眼の具合は、もう、よろしいのでしょうか。
くれぐれも、ご自愛ください。

百年の孤独は何度も読もうとしていつも途中で挫折してます・・・。