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2006-05-02

◇『なしくずしの死』L・F・セリーヌ 滝田文彦訳 集英社

元気を出せ、もうひとりぼっちなんだ!

■セリーヌ。ユダヤ人に対し「虫けらどもをひねりつぶせ」を書き、サルトルの反ユダヤ主義批判に対し「蛆虫にこたえる」を書いた。反戦主義者、反共産主義者、反資本主義者、反ユダヤ主義者、人数集めの主義すべてとたたかい、すべてに敗北した。国賊とされ、レジスタンスの襲撃をうけ、ナチスに逮捕され(収容所にはいる)、どこかの国家の追跡を免れているときは別の国家に幽閉されていた、亡命に継ぐ亡命、闘争というより逃走の自由しか持たなかったセリーヌ。『なしくずしの死』は貧困と憎悪だけで生涯をついやしたセリーヌ第2作目にあたる。

■まともな文章はどこにもない。まともな文章とは、主語の次に述語、述語の次に目的語といった文法のことで、これはぼくらの無意識の構造、社会イデオロギーそのもの、規範、儀式、制度、形式、最初の「法」である。どんな精神障害にあってもこわれないもの(話せないひとさえ持っているもの)。夢と現実が区別ができないくらいごちゃごちゃでもけっしてこわれないものだ。それなのにセリーヌの文法はちがっていた。彼はその文法と、全制度とたたかった。一冊の長編小説全部が、罵詈雑言だけでできあがっている。ピリオドなどない。セリーヌの文の終りは、「……」でなければ「!」あるいはその組み合わせがあるだけで、始まるだけで終りのない、たった一文でできあがった作品だといえた。

■セリーヌに主張があるわけではない。最低の人間どものなかで、もっとも最低の人間である自分自身をほとんど叫びだけで描きつづけた。もっとも醜悪なもの、卑猥なもの、下劣なものの寄せ集めのなかで、世界の悲惨を生きることの無意味だけがつづられていく。こういうものを書いている姿を、ぼくはおもいえがくことができない。文字の上で叫び続けるためには、あまりにもエネルギーが必要だ。際限のない負のエネルギーを、セリーヌはどこから得ていたのか、それはわからない。

■『なしくずしの死』を読むことになにか意味があるだろうか。たぶんない。理解を絶したものの体験、もしかするとフロイトの「死の欲動」が具体化されたもの、悪夢そのもの、そういったものとの直接的な出会いがあったかもしれない。じっさいぼくは何度か吐いた。ぜったいにうまくいかない人生に呪われたセリーヌ、いまだ有罪を訴えられているセリーヌ。彼の憎悪を悲劇だと語れるような時代はまだ到来していない。

※別訳を読まれたブログを参照します。
Doors open at 10 p.m. L-F・セリーヌ 『なしくずしの死』


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