内面が、内面の邪魔をする
ほんとうの風景は見る人が切り取り、作り出されるものなのに、ここにある風景はたんにそこにあるだけで、しかもそれを風景として認めてくれるだれかを待っていたわけでもない、そういう受動性以下のものとして発見されてしまう。どこまでもレプリカなのだ。
何の感想かというと、佐世保市のハウステンボスというテーマパークの感想である。過去の、一流の文化を誇るはずのヨーロッパが、客集めに利用されているといった喜劇さえここにはなかった。うるさい観光客がそろって「なにが言いたいのかわからない」と訴える。つまり、この街は、すでに悪化した恋人関係のように、出会った瞬間から、そういう「聞きたくもない真実を語る言葉」を抑圧することもできない。
どのような内面よりも、表層の、美的快楽は、圧倒的なのに、不完全に模倣している見かけが、中身を捨て去れないでいる。見かけは、内面などどこにもないということを完全に隠せば隠すほど、内面を作り出すことができる。しかしここにはいたるところに隙間があって、ヨーロッパの本質を覗かせ、内面の体験を押し付けようとする思い上がりがある。内面が、内面の邪魔をしているのだ。
美しい貌の女のために棒に振る人生以上に価値のあるものなどないと思っている私を、私は完全に正しいと思っている。
クルーザーで運河を進んだ。異国の町並みから目を落とせば、水中には大村湾のくらげが漂い、豪華客船の船員服に身を包んでいても、操縦士は、大村湾の退役した漁師といった風情である。なぜワッデン海ではなく大村湾なのか。いったいなにが、その土地を剥き出しにして、その土地に馴染むことのない物語としてヨーロッパを排除しているのか。
正直に申し上げましょう、私がフェルメール展に行かない理由、それはこういう想像力皆無の恥ずかしい俗物と、感動どころか同じ空気さえ分かち合いたくないという理由によるものです。
ここで佐藤亜紀氏が語るのは、美術展に感動(の共有)を求めて押し寄せる鑑賞者たちは、観光客と同じで「侵略者」だということではなく、作品と向き合う時の孤独についてであり、フェルメールへの思いだった。すでに展示会場には孤独はない。そして私の孤独がない場所に、フェルメールは存在しない。
フェルメール展にフェルメールがないように、ハウステンボスにヨーロッパはない。しかし、人々が求めているものがここにはあるのだ。コンクリートのない街、花畑のなかの風車、牛の代りの牛の人形、定時になると「お疲れ様でした」と制服を着替え、出国ゲートをぬけて帰ってゆくコンパニオンガール……。ああ、コンパニオンガールと張りぼての牛だけが中身を捨て去ることに成功していた。
回りやむことのないメリーゴーラウンド、手造りのオルゴール、鳴らないビードロ、チョコレート工場の泥のように美しいチョコレートの滝、後姿のコンパニオンガール……。
追悼、アレクサンドル・ソルジェニーツィン
「1991年12月31日深夜、ソ連は消滅してしまった」という、あまりにもあっさりとした記述を反芻している。国家の不意の死は、ひとの死よりもはるかにあっけないのに、それは膨大なひとの生死のうえに生きつづける。だから、ひとつの葬送なき国家の死には、数限りない国民の、あるいはその国家によって踏みにじられた近隣諸国の人々の葬儀の影が縫い付けられている。
ノーベル文学賞が、「反ソ」というあからさまな政治的な意図によって授与されたかにみえた。ソルジェニーツィンは、アメリカで、反ソ宣伝のために講演を依頼されつづけ、講演をつづけた。『収容所群島』ははたして文学だったのか、政治に利用されるものは、そもそもが政治だったのではないか、彼は騙されていたのか、はたして騙されていない人間などがどこかにいるのだろうか、さまざまな疑問が残りつづけた。
もしソルジェニーツィンによって描かれた悲劇が感動的すぎるとしたら、その原因こそ「事実」を描いたところにあった。事実とはなにか。架空としか思えない事実だった。「1945年、スターリン批判の嫌疑で告発され欠席裁判で懲役8年を宣告される」。書くことは、自分に課せられた不条理な運命を、自分の運命として受け入れてゆく過程だった。『イワン・デニーソヴィチの一日』……、しかし、やがて彼のペンは、スターリン批判という嫌疑にすぎなかったものを、スターリン批判という事実に変えるために使役されるようになった。すべては嘘からはじまったが、それは事実となった時点で歴史となる。
『収容所群島』のなかに、シベリアの流刑地の囚人にピロシキを差し入れに来る農民たちの話がある。スターリンの収容所は、反共主義者に差し入れする者は、同じ反共主義者だと断じて、農民たちを投獄した。これは古い共同体的な風習が解体されてゆく過程として読めるし、そういう意味では、スターリン時代のソヴィエトは、一種の、避けて通ることのできない<近代>だった。
反対側には、ギュンター・グラスのように、ノーベル文学賞受賞後に、自分がナチスの親衛隊員だったことを明かして、さらに負債を抱え込む作家もいるわけだが、ソルジェニーツィンには、ノーベル文学賞は反スターリン、反ソ連の正統性を与えてしまった。『収容所群島』を最後に、負債は完済されてしまう。彼の作家としての人生は終わり、そこには強制収容所の証言者としてのソルジェニーツィンが残されたのだ。
見送るためだけにある経由地
地下鉄の階段で足を挫き、その電車を痛みで見送り、近所のポストまでの道程を挫き、餃子店の裏の排気口の前の道の窪みに挫く。こうして足は失われていく。世界を開かせる隙間を失うために。
これは、「私」にとっては、<世界を開かせる隙間に欠けるものは「別れ」を持たない>(世界を開かせる隙間)その他への応答として読まれるために書かれた挿話であり、現実のような分散であり、夢のような集中だった。
「私」も、ずっと、どこかから風に乗ってやってきた種子を、べつの風に乗せて流してきた。書くことは、それゆえ経由地を開くことだ。「私」は、立ち止まる場所ではなく、ひとつのバイパスなのであり、種子は、またべつの経由地を経ることになり、ここではたまたま「足は失われる、橋もまた失われる」と呼ばれる、かりそめの経由地を開くことになった。
<私と私の間>にあるギャップが哲学だった。というよりも、そのギャップを覆い隠すために生まれるものが現在の哲学だったが、ここでは、その橋を失い、さらに、その橋を渡るはずの足を失うという物語が描かれている。その二重の欠落が、さながら「抵抗への抵抗」といったものをぼくに思い出させる。なぜ抵抗するのか、というのは問いではない。それに答えようとすると、橋を渡ってしまうことになる。ただ「なぜ抵抗するのか」というむきだしの言葉が、壁のように聳え立っていた。
答えのない問いである前に、問いではない問いがあるかのようだ。繰り返すと、橋を渡ろうにも足は挫かれている、そのうえ橋はない。ただない橋が結ぶ彼岸だけがあり、その彼岸に届くのは、またべつの記述の中を通過してゆく「種子のような言葉の何か」だけだった。
見送るためだけにある経由地、そこでは「意味」と呼ばれる表層は拒絶されている。だからここから絶望を(あるいは絶望の否定という絶望を)読み取るといった安易な読みだけは避けなければならない。それは、すでに失われてしまったかのように<まだない>。すでにいない既知のひとが、いつかやってくる未知のひとと同一人物であるという「交換の法則」を思い出したい。
これを書くと三度目になるが、橋はなく、その橋を渡るはずの足はない。
破壊か愛か、あるいは破壊か
西の空にひとつだけ大きな積乱雲が立っていて、そこから絶え間なく稲妻が閃いていた。ラピュタだと思った(が、そもそもラピュタは、ルネ・ドーマルの『類推の山』である)。
ラピュタに登場する最強の殺戮兵器だったロボットは、同時に、小鳥の巣を守る、心やさしき自然擁護者だった。愛あるものはつねに破壊者だということで、(両方とも失うことはあっても)その片方だけを手にすることは、だれにもゆるされない。ただ愛することが破壊することになり、愛するために破壊されることになるだけだ。
だから愛を、破壊する力として持つあのロボットは「欲望」の暗喩だった。ではあのロボットを造り出し、コントロールしていた古代ラピュタ人は、いったい何の暗喩なのか。滅びた神、「理性」の暗喩である。破壊が滅びを呼び寄せるのではない。愛と破壊をコントロールしようとする企てが、滅びるものに属している。
単純に言いかえると、滅ぼすことができるものは救うことができるものである。現実にはいずれかの顔をもって登場するだけだと、この間twitterに書いたが、これもやはり同時に登場しうるとここで訂正しなければならない。悪の権化である帝国主義者を戦艦もろとも葬り去りながら小鳥の巣の卵を守るように?、いな、帝国主義者の欲望に徹底的に加担しながら、小鳥の卵をそっと守ってゆけるのだ。
恋人同士のケンカで、「俺に何をして欲しいというんだ」というやけを起こした男の言葉に対して女が「何もして欲しくないわ」と答えるとき、これが言葉とは正反対のこと、つまり、つべこべ言わず降参しろという要求を意味していることは明らかではないか。スラヴォイ・ジジェク『操り人形と小人』
ここでも滅びを突き付けるものだけが慈悲ある贈与を行う権利を握っている。これは愛のシーンで、何も要求しないと語れるものは、すべてを要求するものだった。これをちょっと変えれば、破壊(別れ)を描く正反対のシーンとなる。つまり、愛と破壊に境界線がないということは、よく知られた、ひとつの公式なのである。
恋人同士のケンカで、「俺に何をして欲しいというんだ」というやけを起こした男の言葉に対して、女は「すべてよ」と答え、穏やかに立ち去ってゆく。
| 類推の山 (河出文庫) (1996/07) ルネ ドーマル この書物について、この記事では触れていない。 ただ「類推」あるのみ。 商品詳細を見る |
無関係な雨の中の無関係な眠り
どこかで引鉄になる何かを見るか聞くかして、そこから思い出しているはずだとわかっていても、その引鉄になったものは特定できない。今日は二度、南無さんに抱かれ、痛みというよりたぶん恐怖によって左腕に噛みついたビーグル犬を、見てもいない思い出として思い出した。人々のとるべき姿はいかようなものなのだろうか(南無の日記)。
いったい何がそのことを思い出させたのかわからないように、他者の記憶を私に思い出させることによって、私の無意識が私に何を告げようとしているのかもわからなかった。私は後続車の運転手にすぎないのかもしれない。
午前中は雨が降っていたが、それを擦りガラス越しに知っただけで、この雨は無関係な雨だと思った。背後では一昨日から子どもが泊まりに来ていて、ずっと眠っていた。その眠りもまた「無関係な眠り」だったが、いつまでそういった無関係な眠りを守った(つもりになった)り見たりすることができるのだろうかとふと思ってしまう。
もうずっとtwitterにはいらいらさせられていた。そこにある「無関係な会話」は、ファーストフード店でも地下鉄でも聞くことができる断片的な言葉たちで、そんな全体のない断片が、まるで無意味ではないかのように振る舞うのを見せつけられる耐えがたさがあった。しかしそれらは背景にすぎない。ほとんど語ろうとしない誰かの沈黙の背景だと思うようになった。
沈黙が背景になって言葉を成立させるのではなく、言葉が背景となって語らぬひとを作り出すのだ。かつて吠えないおとなしい犬を「寡黙な犬」に変えたバウリンガルというおもちゃについて語ったことを思い出した。場所のない広場。
午前中の、無関係な雨の中で、無関係な眠りを背後に、twitterでは初めてのひとたちと会話になった。@shunkohさん、@sokutenさんだった。ところで、ずっと会話しながら、じつはひとりと話していると思いこんでいたのである。いつ会話の相手がふたりになったのか、会話をさかのぼる必要に迫られた。私もまた誰とも出会っていないのだ。









